温泉特集偏

 木と水と温泉の旅に出た。
お盆の最中、混雑を避けて、朝5時出発、8時には郡上八幡に着く。水と踊りの町。傘を差すほどではないが朝から少し小雨混じりでもやっている。一晩中踊り通す(郡上節・徹夜踊り)のは明日からだという。観光客も序々に集まりつつあるのか、軒先の提灯、垂れ幕など受入体制は整ったようである
 町全体を見下ろせる高台に城(1559年遠藤盛数の築城)がある。城の両側から川が寄ってその川合に町がある。川の出どこ以外は全て山である。町のいたるところに水構があり、どれも透き通っている。恐らく少し前まで生活用水であったのだろう。                         
  如何言うわけか酒屋の多さが目に付く。しかも、ビールはほとんど展示されず、日本酒の地酒である。祭りには酒が似合うのだろう。                                                町の中心部に、名水百選の一番目に選ばれた宗祇水(そうぎすい)、別名「白雲水」と呼ばれる涌き水がある。連歌の祖といわれる宗祇が生活水として使っていたとか。

透き通った水と、深い森と、踊りを通じて人との触れ合い。冬の厳しさ、地理的不便さを考えなければ、理想郷なんだろう。
どの辻からも「水」音が聞こえてくる町を後にして、「せせらぎ街道」を北上して高山に向かう。
町から約30分有料道路料金所のすぐ手前を右折れて3分、最初の温泉「明宝温泉」(湯星館・рO575・87・2080)に着く。周りはスキーのゲレンデと牧場である。10時開湯までの20分が長く感じられる。実は出発の直前知人よりこの場所を教えてもらって急遽コースに加えたのだが、結果は上。
一番目の温泉なので少し緊張してカメラを風呂場に持ち込む。周りの目を気にして、男風呂なのになんか出歯亀のような気分。それでもなんとか一枚写す。少しぬるめの透明湯。後ろの山がガスって仙人湯のようであった。

この近辺の牧場の「明宝ハム」は有名。
打たせ湯にも当たり、早速缶ビール。
今回は「3日間禁酒宣言」した某ビール会社に勤務するsinta君同伴の為、小生は朝から、運転を気にせず思う存分飲み放題。ヤッホ〜
sinta君悪り〜な。
道は高山をめざしてせせらぎ街道を行く。
高山市に入る数km手前右手に「銀河高原ビール」の工場があり、1500円のバイキングと工場即出の3種類の地ビールで昼食。sinta君のビール蘊蓄を聞きながらバイキングを楽しむ。そこから10分ほどの所に「飛騨の里」があり、飛騨の民芸品や工芸品のお店が並んでいる。その中に「一位一刀彫センター」や数軒の一刀彫りのお店がある。もともと一位の木は聖徳太子などが手に持っている「杓」の木として一番良いとされたので一位の名が付いた。「杓」は以前の千年札の太子の絵に両手でもっているのがこの「杓」である。今で言う「カンニングペーパー」の目的であり、裏に和歌や人名などのメモ書きをしていたのである。今では1年に一本ぐらい、神社の宮司が買っていく、とは彫師でもある店主の話。この木は一般では販売していない。組合員にしか手に入らない。ただ店頭ではハギレを売っている。10cmの観音さんがかろうじて彫れるくらいのものである。店主と話していると少し判った奴と思ってくれたのか、奥から少し大きめの一位を出してくれた。
 作品はどれも高価でとても手がでない。どの店の展示物も「能面」「仏像」「小動物」「高砂一対」と木の関係で小物が多い。さすがにプロの仕事だと関心するが、只、この後の高山市内でも数軒の一刀彫をみたが、「能面」に関しては、少し気に入らなかった。
彼らのどれもが「形」「姿」いわゆる表面だけを一位に彫り込んでいるだけで、全く「心」を感じなかった。作者のメッセージが伝わってこないのだ。「形」だけなら今時機械で彫れば良い。只刃物の切れなどはプロの仕事だし、最大の収穫は「作品の仕上げ」は蝋をかけるということを教わった。よくまあ教えてくれたものだと感謝。仕上げは結構秘密にすることが多い。私は胡桃をかけるが、今度は一度蝋を試してみよう。
高村光雲は特殊な秘密調合の泥をかけたと聞く。    木片だけ買ってゴメンね。
店を出ると急に眠くなってきた。チェックイン前だが高山駅近くのインターネットで予約しておいたホテルに頼んで入室、そのまま眠り込んでしまった。  (続きは又明日)

彼らが寝ている間に高山慕情のおはなし暴露・・・・
  「飛騨の里」にある一軒の一刀彫りを訪れ、作品を見て店から出てきたkanta君とsinta君の会話。
sinta「彫刻作業所にあった煙草と灰皿が欲しい」
kanta「そんなのあった?」
sinta「大きさといい、使い込んだ感じがとても良い、でも売り物ではないようだ」
  kanta,sinta再び店内に
kanta「すみません。これが欲しいのですが」
彫師の奥さん「申し訳ないですがこれは売り物ではありません。それに使ってしまっていますし」
kanta「いや、いいんです。是非譲ってください。さっき他所の店でこれよりもう少し大きいのが3500円ほどであったのですが、この大きさが良くて、是非欲しいと言うもので、無理をいいますが」
  ここでkanta君と奥さんの押し問答が暫く続くが、奥さんも困り果てた上に「汚れていますので少し洗ってきます」と言って灰皿をもって奧に行く。色白の細身の奥さんは年の頃は35〜6、落ちついた物言いは店の雰囲気と作品に重なる。
奥さん「確か2000円ほどで買ったと思いますが」
kanta「では2000円で下さい」
奥さん「いや、使いっていますし、それでは800円位で」と本当に気の毒そうに小さい声で。
kanta「それでは、1000円で」と札を渡して「灰皿」を受け取ってsinta君に渡す。そのまま2人は店を出るが、奥さんが2枚の硬貨を手にかざして追い掛けてくる。「売り物ではないし、困るんです、200円受け取ってください」と何度も何度も車の所まで来る。2人は手を振りながら車を出す。なんてすずしいんだろうとすくなくとも1人は思った。
早速車内は煙で一杯になったのは言うまでもない。
あ、2人が起きてきそうなので、この話、内緒内緒。
  こんなの「慕情」て言うのかな。

 5時頃目がさめる。sinta君は7時まで寝たいというのでほっていく。高山市内を散策する。透き通った水が町の真中を流れている。
橋の上から多くの大きな放流鯉が見える。ここは将に小京都。いや京都より京都らしい。「陣屋」を中心にこの一角は映画のセットの様である。商店街の歩道に吊らされた灯篭が特におもしろい。灯篭には、俳句?いや川柳かな、一つ一つ読みながら歩くも良し。それ以上におもしろいのは、灯篭の下に風鈴が付いていて、歩いていると光りと音のトンネルになる。夕闇せまる小京都の風情である。そういえば奈良春日大社も今日は「万灯篭」のはずだが。






































7時にホテルに帰りsinta君を起こし、かわいいフロント係りの人に、飛騨牛のおすすめ店を聞く。焼肉なら「山武牧場」直営店でしょう、ということで飢えた狼2匹が牧場直営焼肉店の「霜降り」と生ビールにむさぼりついた。(sinta君の名誉の為に・・・彼は本当に「3日禁酒」を完成した。ビールの代わりに400gの「霜降り」と3杯のご飯になった。)当分肉はいらんな〜、明日は早く起きて朝市にいくぞ、なんてスキな事いいながらベットに就く。(続きは又明日)
朝食後、朝市に行く。川筋に市が並んでいる。かつては現地の人もここで生活用品などを調達したのだろうが、見た感じではそのほとんどが観光客のようだ。以前、高知市の城付近の朝市には圧倒された。そこは本当の生活市という感じであった。安くて新鮮、量も種類も豊富。
交通の発達がいまやその日に獲れたもの、トマトや茄子、西瓜、桃、トウモロコシ、かぼちゃなどがスーパーに並びしかも安いとなると、この市もイベント化せざるを得ないのかも。姫リンゴ3ヶ100円というのを買ってかじりながら見物、通行人を演じた。
写真のようにこの町のメインはやはり「透き通った水」である。この川がもしメタンがぶつぶつでているようなら、これほどの集まりがあるだろうか。


総じて天領は恵まれたものがあると思うが、この美しさと裏腹な過酷な自然条件での歴史には幾多の混乱も有ったのであろう。(「kantaのメモ8月10日参照)が,今どこにそんなエネルギーがあったのかと疑いたくなるほど穏やかな、優しい街の装いである。
全国に小京都と言われるところがいろいろあるが、古い城下町の割には最も庶民的な感じがした。
高山を後にし、いよいよ温泉探訪である。
奧飛騨まで約一時間焼岳、乗鞍の深い谷あいに平湯がある。
ここの名物湯は「神の湯」である。40軒近い温泉宿の町並みから少し山手の川筋にある露天風呂、平湯発祥の湯と言われ沢に落ちる急峻な岩に囲まれ、神秘的な風情がある。

神の湯から川筋を少し下がると街の中に平湯民族館と平湯の湯がある。萱葺きの古めかしい館と乳白色の露天がある。
よく考えてみれば、同じ川筋の温泉だから湯元は同じなのだろう乳白色で強いイオウの匂いが当たり一面に漂う。他3〜4の湯も行こうかと計画していたが、1ッ個所500円の入湯料も馬鹿にならない。ここから10分程北の福地温泉に向かう。



福地温泉は20軒ほどの山間にある落ちついた雰囲気の村。先ほどは人と車があふれていたのにのんびりとした趣は昔ばなしにでてきそうだ。
時間は12時半、お蕎麦の美味しいのが食べたいのだが、食事処が無い。
道路から一番奥まった山の中ほどに「露天と食事
『昔ばなしの里』」の看板。実はここが大当たり。
田舎の家そのままに、囲炉裏には一串300円のだんごと川魚の串。sinta君は「ほうばん定食」kantaは「山菜そば定食」と生ビールと露天。味も露天もそれなりのものだが、なんと言っても広い座敷に涼しい風。食事のあと、露天のあと、客はことごとく横になって昼寝をしていく。扇風機やクーラーの風ではない、柔らかい、爽やかな風が土間にそそがれてくる。
なんでこんなにゆったりとした気分でまどろめるのだろう。sinta君は又2時間ほど眠り込んでしまった。

(続きは又明日)
この地でこのまま泊りたい衝動もおこるが、次の温泉をめざす。高原川に沿って福地温泉、新平湯温泉と続く。狭い道路を挟んで60軒程の温泉宿が並ぶ。同じ平湯でも泉質はまるで違う。福地と同じ透明でにおいが無い(重曹泉)。「古宝館」という宿の湯に入ってみたが、大きく、きれいな建物と総檜の家族風呂や整備された湯船はなんとなく落ちつかないし興味が湧かない。もうひとつ魅力的な処もないので早々に通りぬけ、浦田川沿いに出る。新平湯温泉から5分ほどのところが栃尾温泉。民宿や小さい旅館が散在する。この川原に沿って温泉が連なる。我々の今日の宿もここから5分ほど上の新穂高温泉にある。この栃尾温泉に有名な「荒神の湯」がある。浦田川の流れに面して釣り人や地元の人にも親しまれており、200円ほどの寸志で入れる、無人の露天風呂。広い川原に小さい脱衣場と一応形だけのし切り以外は全て解放感に溢れている。やけどするほど熱い透明泉で入るときに水の出るホースで周りを冷やしながらでないととても入れない。それにしてもこんな開放感のある風呂てあるだろうか。
今考えてみると、周りに沢山の木があるのに、一度も蝉の声を聞かなかった。
やはり気候的にもうこの辺は夏の盛りは終わってしまつているのだろうか。
こんなに熱い湯も、川原にあがると清々しい風がすぐに体を冷やしてくれる。
自分の想像以上の開放感の大きさに只ぼんやりと対岸の山々をみている。
さて今日の宿泊旅館「浦田川荘」に向かう。やはり川沿いにある。
こじんまりとした、家族的な雰囲気だ。家族的といえば、トイレ、洗面も共同である。久し振りに林間学習を味わった。食事も広間に全員が集まる。若いカップルやら、老夫婦も多い。車のナンバーから関西、関東半々のようである。今回宿泊はインターネットで検索、確保したが、この近辺はことごとく満室で唯一縁あってこの宿に拾ってもらった。専用露天は道を挟んだ川原にある。当然宿泊客は無料である。
さっそく露天にはいる。透明泉の「良い湯だな〜」。さて広間での食事タイム。kantaはまたまたビール付き。いわな、飛騨牛、など、しかし昨夜の「霜降り」の前にはどれも霞んでしまう。
部屋に帰ってT・Vをつけると「靖国神社参拝」が報じられている。
sinta君に背中をもんでもらいながら、彼の質問に応じて「靖国」関連談義にはなをさかす。
旅館のおばさんが「明日はロープウエイにのるんかい」と聞くので「いやその予定はしていないのですが」と言うと、「そりゃもっていねい、ここまで来て乗らんとは、是非いきなせい。その代わりシーズンなので早く行かないと3〜4時間の待ちになるぞ」ということで、7時朝食、7時40分出発ということになる。sinta君すこしふくれ顔。
川原の露天に入り朝食を摂り、共同もそうそうに済まし、15分位先のロープウエイ乗り場に向かう。途中振られた宿が満タンの車を抱えて並んでいる。やっぱり本当にいっぱいなんだわ。
3000台は止められそうなロープウエイの駐車場もまだ2割位。一人往復2800円ウウウ〜ン。
ほとんどすぐに乗れた。2階建ての吊り篭は結構乗れるのだが、今は10分間隔のフル運転だと放送していた。
それがまたまた、大当たり。わずか8分足らずの飛行だが、降りたところは2100m。気温18度。雲一つ無い大快晴(これも午前中しかもたないらしい)。こんな天気はめったとないらしい。
高校時代にこの反対側の大天井、燕など北アルプスを縦走したことがあるが、槍・穂高を岐阜県側からみるのは初めてである。やっぱー絶句かな。





















有料の望遠鏡で見ると、槍ヶ岳の頂上に20名ほどの人が立っている。穂高の稜線を人が歩くのがはっきりと見えている。(kanta,sintaの並んでいる写真の背景が槍ヶ岳と穂高連山である)kanta.sinta感動の1時間であった。帰りの吊り篭も待ち無しで乗るが、本当に360度見渡せて飛行機に乗っているようで、気圧の変化で耳が痛い。
下に降りてみると、そこは大混乱。
整理券が配られるは、長い列はあるは、ほとんど空いていた駐車場もほとんど満タン。
駐車場に入る道まであふれて長い列が出来ている。
恐らくこのへんの車の人は半日仕事であろう。
こんな素敵な時間を授けてくれた、旅館のおばちゃんと、山と天気と、それに2800円のロープウエイに感謝。
いよいよ我々の旅も終わりに近づいてきた。今回もっとも期待している温泉がこのロープウエイから降りてくる道の途中にある、「新穂高の湯」である。
浦田川にかかる旧中尾橋のたもとに有り、情報が無ければ気づかない場所にある。清流の中のあちこちからお湯が湧き出し、冷たい水と熱いお湯とがうまく合わさって良い湯になっているという。
車を止めて、道から川原まで降りて簡単な脱衣処まで行って驚いた。
情報では、要水着だったので水着を持ってきたのだが、目の前の光景はなんということだ。
ここは「お風呂」なのか「プール」なのか。一瞬我が目を疑った。
5〜6人の若い学生風の男女はタオル一枚で川湯につかって談笑している。
横で家族連れは水着を着て泳いでいる。それらを、数人の老人が岩の上でこれまた素っ裸で眺めている。50人程の老若男女、半々位の割合で「風呂派」と「プール派」で混在している。
特に25〜6のマッチョマンタイプの男性数人がこれみよがしに、ぶらぶらさせて皆の前を歩く。
これがプールなら、即逮捕されるところだろう。白人の若い男性も「風呂派」だった。連れの女性は「プール派」これはちょつと残念。30過ぎの家族連れの奥さん数人は「プール」で来ているのに目のやり場に困り帰ろうかどうしようかと迷っていた。それで我々は「プール派」になった。


こんな良い温泉なのになんとなく落ち着かないままに、後にした。
これはどちらかに決める「告知板」か何かが欲しい。
それにしても、今時の若い女はどうなんだろう。でもちょつと得した気分。
昨日この近辺に200畳の広さと見事な露天岩風呂の振れ込みである「水明館」を捜したが見つからなかったので諦めていたら、川原の湯から2分ほどの処に看板があった。もう何となく入り疲れて止めようかなと言うとsinta君がせっかく来たのだから頑張れというので行ってみた。
これが又大当たり。始めは2〜3人の子供が入っていたが途中で全くの一人きりになり、前々から「はまり撮り」をやりたかったのだが、たいがい他の人がいるので、湯船にまでカメラを持って行けなかった。でも最後にチャンスが訪れた。本当に蝉も無い、鳥の声もない、只静寂の中にお湯を注ぎ込む音だけが周りの岩にあたる。遠景は穂高。こんな贅沢いいのかな。

これ以上の贅沢は罰が当たりそうなので、温泉はこれにて終了。
もう身も心もふにゃふにゃにとろけそうになつた。
もう思い残すことがないので帰路に着く。途中飛騨の鍾乳洞や、ちょつと名前を忘れたが涼しげな滝に寄った。
この滝壷に水着姿でワイワイキヤーキヤーやっているののは、40才前後の直感でブラジル人と思ったのだが5〜6人の男女のグループ。さぞかし冷たいだろうな。
それにしても、今回、いたるところで外人に会った。
高山市内は勿論のこと、泊ったホテルの半分は外人。焼肉「山武」でも隣の若い女性は日本人と思っていたら英語でべらべら喋りだす。
例の「新穂高温泉」の「風呂派」の白人。「滝」の”ブラジル人”と。
なかなか外人もうまく日本を楽しんでいるんだ。
でも本当にこうしてみるとまだまだ日本も捨てたものではない。「美味し国ぞ」と心の底から思った。
こんないい風土を、水と、木と温泉とそして暖かい人々をいつまでもこんな状態に保って欲しい。
何時きてもあの「透き通った水」であって欲しい。
欲を出して次回は紅葉の時期に是非きてみたいものである。

                               完

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送